〒191-0021
東京都日野市石田2丁目1−3
開館日:第一・第三日曜日の12:00〜16:00
(祝日・連休などは開館してくれている日があるので公式HPをチェックされた方がいいでしょう。)
入館料:500円(2006/05現在)・資料館裏手に専用駐車場が4台分あり。
土方歳三の生家…とされているが、実際はちょっと違う。
もともと土方家は石田寺裏手の多摩川沿いの一角にあった。
歳三が12歳の頃(1846年)に多摩川洪水で被害を受けて現在の土方家の場所に母屋等を移転した。
現在では母屋も建て直され、その際に土方家子孫の方々が家の一部を資料館として改装して一般開放している。
資料館の入り口に母屋の大黒柱や長者柱を使用するなどして昔の形を残すように工夫されている。
子孫の方がマイクをとって遺品の説明やそれにまつわるエピソードなどを話してくれるが、その内容がどんな資料にも載っていないような素晴らしいものばかり。
資料館内は撮影禁止だが歳三の愛刀・和泉守兼定や鉢金、石田散薬の薬箱、豊玉宗匠の句集などを見学することができる。
入ってすぐのところに凛々しい歳三の胸像。
歳三が少年の頃に武士になる決意を込めて植えたとされる矢竹。
この矢竹を加工して根付にしたものを期間限定販売。(2006年は5/3〜5/7でした)
改装前の母屋の大黒柱や長者柱を資料館入り口に使用している。歳三の胸像は資料館リニューアル時に門の方に移された。
この写真は2004年に行った時のもの。
歳三といえば発句、豊玉宗匠。「豊玉」とは自らの諱(いみな)の義豊からとった俳号。
豊玉発句集は歳三が多摩時代に詠んだものを上洛前に書きまとめたもの。歳三の俳句といったらあまりうまくないものばかりだと小説などでは紹介されてしまっているが、そればかりではない。そういう句を選ぶことで、小説などでは鬼副長の人間味などを表したかったのではないだろうか。
土方歳三資料館に保管されている兼定は、歳三の最期を支えた遺刀。
歳三の兼定は会津藩主・松平容保さまより拝領したという話は有名であるが、資料館の兼定は当時定寸と呼ばれた一般的な長さしかない。
歳三も近藤勇も刀は定寸よりも長いものを使っていたというのも有名な話なので歳三が持っていた兼定は一口ではないらしいです。
兼定の刀身が公開されるのは、毎年歳三命日の5/11前後のみ。公式HPでよく日程を確認してからでないと鞘と柄しか見れない可能性もあります。
矢竹の近くに梅の木がある。この梅の木も昔からのもので歳三も見ていた。
いくつか詠まれている豊玉の梅の句はこの
梅を見て詠んだものもあるかもしれない。
幕末の石田村名主・伊十郎屋敷
歳三が石田村の若者たちに武芸を推奨していたころ、近藤勇からの誘いの手紙をこの長屋門を通り抜けて届けた。この屋敷は歳三生家(土方歳三資料館)のすぐ隣で、歳三は幾度と無くこの長屋門を通り抜けて屋敷に訪れているはず…。
浅川(多摩川の支流)
土方歳三資料館から5分ほど歩いたところに浅川がある。歳三が行商していた石田散薬の原料となる牛革草はここで採っていた。
巡った日:2006/05/04